この子の七つのお祝いに。
好きなのに全然歌詞がわからないので、調べてみました。
そしたらこの曲、すんごい哀しい曲なんですね。
解釈の仕方によってはすごい残酷だ…。でも歌詞やら検証を読んで、なんで映像がああなのかがちょびっとわかった気がします。
てか読んでて涙が出ました。悲しすぎる…
すごいいつもと違うどきどき感を感じました。
とある方の歌詞検証を読んだのですが、この曲は母親が主人公。「この子」は母親の子供であり生き甲斐でもある。父親は主人公の旦那さんだった人
以下、検証や歌詞を読みながら私的に解釈してみました。
解釈ってか歌詞をまんま物語風にしてみただけ←
ちょ、その解釈は違うだろ…と思われても仕方ない仕方ない^^^
まぁ心の中でそう思ってくださいゲフンゲフン。
読解力の無さに泣けてきました←
工業が発達し煙のせいで水や空気が汚染されていく中、次々と公害病にかかり亡くなる子供たち。
かごめで遊ぶこの子。そんな愛しいこの子を見て、「この笑顔、私の生き甲斐、誰にも渡さない」と強く思う母親。旦那さんが残した小さな幸せでもあるこの子に。
だけれど、結局は病にかかってしまうこの子。
稲荷の狐たちにゲラゲラと罵られる母親。(だから映像に神社があったんだな…)
この子を抱きかかえながら唇を食いちぎるほど噛みしめて、旦那さんの形見であるぼんぼり(ぼんぼり=形見は納得)。
そして自分の頬にこの子の小さい手をよせる。もしかしてこの地点で亡くなってるんじゃないのかなとか思ってみたり…
相変わらず工場からは煙が絶えない。
晩遅くまでこの子を引き連れる。(やっぱりまだ亡くなってないのかな)
老夫婦と、狐と狐の仲間と思われる少女が現れる。狐「早く息を止めなきゃぁ、さもないと首を刈るぞ」ようはこの子の死を迎えに来たってことかしら。
(やっぱりこの地点でry)
仲間と思われる少女が木に登り、ケラケラと絶叫てか笑い声を上げる。それを聞きながらも必死にこの子を抱きかかえる母親。
母親「この子の全ては私のもの!髪の毛一つ、何一つお前にやらぬ!」
狐「おまえがどんなに幸せを望んでも、一つも叶いやしない!」
そう言いながらこの子の髪をむしり取る狐。それを見て笑う少女。
見ていた老夫婦はその子を「隠してしまいなさい、その子が七つになるまで」と母親に言う。
(ここらへん自分で書いててよくわからない←)
母親は、いつの間にか更けいった夜の空を仰ぎ、「あああ!貴方!この鯉のぼりが昇って行くまでどうか待ってて!」こいのぼりはこの子の魂のこととか思ってみる。貴方とは亡くなった旦那さん。
貴方の隣を歩いているこの子を見て自分はとても幸せを噛みしめている。(あくまでも今。だから幻覚?)
そして七つになり、お祝いに小さな折り鶴をひとつ水上に流してやった。貴方の好きだったぼんぼりもたくさんあり、微かに貴方の姿が見えても煙と共に消えてしまう。
この子をあやし、眠らせようとする母親。いつしか木に登っていた少女は落ち、泡をふきながら金切り声を上げる。
母親の先には狐たちの行列。首を刈られていく子供たち。この子の元に狐たちはもう来ない。安堵感を感じる母親。
「この子が大きくなればなるほど、貴方との思い出がたくさん思い出されるわね」
目に浮かぶ硝子のようにたくさんある思い出たち。母親は疲れ果てたように笑みを浮かべる。
久しぶりにこの子に話しかけても返事がない。「あ!よく見たらこの子お人形」
こうかな←
お人形=亡くなってる
ってことだと思うんだけどももしかしたら純粋に人形なのかもしれない。
この子を育てたのは事実で当の昔に亡くなったが、この子の温もりが忘れられなくて人形を…みたいな
んで幻覚をよく見たりしてね。
歌詞の中にこの子の台詞とかないはず。
でも最後の歌詞に「空を泳ぐ鯉のぼりだけは知っていた。あ!この子よく見たらお人形」
って、もしかして鯉のぼりだけがこの子が亡くなって人形となっていることを知ってるとか。んでこの子の魂を運ぶ役割なのかな。
だとしたら鯉のぼり=この子の魂じゃないな。
でも鯉のぼりは端午の節句の時に使われるよね。
あ、でも七つになっても今だに鯉のぼりが飾られてる、って…?
私が今読んでる歌詞、改行も何も無いからよくわかんないんだよね←
なんか人形=亡くなったこの子って思ってたけど違うかもね。まぁ色んな考え方があるよね。
楽しいな!あさきさん最高!
最後まで読んで下さりありがとうございました。